大判例

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津地方裁判所 昭和49年(ワ)95号 判決

原告

上椙隆弘

ほか一名

被告

ほか二名

主文

1  被告らは、各自、原告上椙米子に対し、金二〇〇万二、四四三円及び内金一八二万二、四四三円に対する昭和四八年二月七日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を、原告上椙隆弘、同康司に対し、各二〇一万九、一一〇円及び内金一八三万九、一一〇円に対する昭和四八年二月七日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告らの、その余を被告らの負担とする。

4  この判決は、主文第一項に限り仮に執行することができる。ただし、被告国において、各原告に対し、それぞれ金六〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、

(一) 原告上椙米子に対し、金一、一〇五万円及び内金一、〇一五万円に対する昭和四八年二月七日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を

(二) 原告上椙隆弘、同上椙康司に対し、各金一、〇六〇万円及び各内金九七〇万円に対する昭和四八年二月七日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を

支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言(但し、被告国のみ)

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

訴外上椙浩は、昭和四八年二月六日午前五時二〇分ころ、三重県津市垂水町の国道二三号線を小型貨物自動車(以下、被害車という。)を運転して松阪市方面に向け走行中、対向してきた訴外畑彰運転の大型貨物自動車(以下、対向車という。)と衝突し、全身打撲、右大下腿骨折、左下腿骨折、顔面切傷等の傷害を受け、よつて、同日午前五時五八分津市所在永井病院において死亡した。

2  被告らの責任

(一) 道路状況

本件事故現場は、四日市市から松阪市に通ずる一級国道で、その幅員は約一九メートルであるが、本件事故当時は別紙図面(一)記載のとおり松阪市方面に向つて右側(西側)の車線部分が道路工事中であり、反対方向の東側車線のみが通行可能で、同車線内において松阪市方面に向う車両と、それに対向して四日市市方面に向う車両とが、行き違う形となつていた。

(二) 道路の保存または管理の瑕疵並びに因果関係

このような状況のもとで道路工事を行なうに当つては、道路管理者及び道路工事担当者は、対向車両同志が互に安全に通行することができるように、まず道路工事箇所を標示板で区切り、次いで大きな標示板で進行方向の標示をし、セーフテイコーン等をもつて進行車線を区切り、さらに夜間等には、その工事箇所が一見して判明するように赤色または黄色等の電灯を点灯し、特に松阪市方面への進行車線については、道路工事箇所付近の同車線内に対向車が入つてくることを標示し、且つセンターライン側から道路東端側の車線へ入つて右工事箇所付近を通行するように明確に誘導する標識等を設置し、もつて右道路を進行する車両の運転者に右道路付近が道路工事中であること及びそこを通行するに当つては、どの進行車線を通行すべきかを一見して明らかになるようにすべきであるのに、被告国から道路工事を請負つて、本件事故現場付近の道路を占有中の被告岩田興業株式会社、同株式会社土生組は、本件道路工事箇所を表示するための夜間の赤色または黄色の電灯の点灯をせず、且つセーフテイコーン及び新センターラインの設置等による進行車線の誘導標示をしなかつたばかりか、もとのセンターラインを消すことなくそのまま放置し、又、被告国は自己の管理する本件国道の道路工事部分につき、右のような道路の通常備えるべき安全性を欠如する状況に放置したのであつて、本件道路の保存または管理に瑕疵があつた。

右のとおり、道路の保存または管理に瑕疵があつたため、訴外浩は、本件道路工事箇所に至るも、同工事が行なわれていること及び進行車線のうちの東端側車線に入つて進行すべきことに気付かず、その進行車線のうちもとのセンターラインに近接してそのまま進行して、本件事故を引き起こした。

(三) よつて、被告国は国家賠償法二条一項により、その余の被告らは民法七一七条一項本文により原告の被つた損害を賠償すべき義務がある。

3  原告らの損害

(一) 逸失利益

イ 訴外浩は、昭和一七年九月一〇日生れで、本件事故当時三〇歳の健康な男子であり、昭和四四年六月より自ら運送業を営み、年間一五〇万円の収益をあげ、又、右浩が生存中に運送を受注していた訴外日栄運輸株式会社の従業員で、同人と同一積載量の車両運転手の給料は昭和五一年一月一日以降において年間二一〇万円を下らないから、同人が生存していれば同額の収益をあげることができたはずである。そこで、まず、昭和四八年三月から昭和五一年二月までの分については、生活費として年間五〇万円を控除し、就労年数二年のホフマン式係数一・八六一によつてその現価を求めると、その額は左記の通り一八六万一、〇〇〇円となる。

(150万円-50万円)×1.861=186万1,000円

次に、昭和五一年三月以降は、年間収益二一〇万円から生活費として七〇万円を控除し、その金額に、年齢三〇歳(就労可能年数三三年)のホフマン式係数一九・一八三から前記のホフマン式係数一・八六一を控除した数値を乗じてその現価を求めると、その額は左記の通り二、四二五万〇、八〇〇円となる。

(210万円-70万円)×(19.183-1.861)=2,425万800円

よつて、訴外浩の逸失利益の合計金額は二、六一一万一、八〇〇円となる。

ロ 訴外浩の死亡により、その妻である原告上椙米子、その子である原告上椙隆弘、同上椙康司は相続人として右訴外人の地位を承継取得した。

従つて、原告らの右損害額は、各自八七〇万円となる。

(二) 慰謝料

訴外浩は、原告ら家族の一家の支柱として働き、原告らの生活を支えてきたものであり、同訴外人を失なつた原告らの悲痛は極めて大なるものがあるうえ、原告米子は二七歳と若く、子である原告隆弘、同康司らも若年であり、本件事故によつて受けた精神的苦痛に対する慰謝料として、原告米子は三〇〇万円、その余の原告らは各二五〇万円が相当である。

(三) 葬儀費用

原告米子は、本件事故により訴外浩の葬儀料として、金四五万円を支出した。

(四) 弁護士費用

原告らは、本件訴訟代理人に訴訟委任をし、手数料として各自金二六万円余、謝金として各自損害額の一〇パーセントを支払うことを約した。

従つて、原告各自の弁護士費用相当の損害金は各金九〇万円が相当である。

4  原告らは本件事故による損害につき自賠責保険金として五〇〇万円を受領したが、原告米子は内二〇〇万円、その余の原告らは各自一五〇万円ずつを取得したので、被告らに対し、原告米子は前項(一)ないし(三)の損害額一、二一五万円から右二〇〇万円を差引いた残額一、〇一五万円、その余の原告らは(二)(三)の各損害額一、一二〇万円から右各一五〇万円を差引いた残額九七〇万円と右各金員に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四八年二月七日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金並びに原告ら三名は前記弁護士費用相当損害金九〇万円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告国)

1 請求原因1の事実は認める。

2(一) 同2(一)の事実中、本件事故の発生した道路が四日市市から松阪市に通ずる一級国道二三号線で、その幅員が約一九メートルであること及び本件事故当時、事故現場が道路工事中であつたことを認め、その余は否認する。

(二) 同2(二)は、被告両会社が被告国より本件事故現場における工事を請負つていたこと、被告国が本件国道を管理していたことを認め、その余を否認する。本件工事現場手前には、工事箇所を表示する予告標識を五〇〇メートル先、二〇〇メートル先、一〇〇メートル先及び五〇メートル先に設置し、三〇メートル先には工事注意標識を設置して通行者の注意を喚起していたのみならず、別紙図面(二)記載のとおり本件工事箇所においては、旧センターラインを黒ペイントで塗布して抹消し、新たなセンターライン及び車道外側線を標示し、さらに工事箇所と道路とを区分するためバリケードを設置し、これに赤色灯を添架して点灯し、且つ工事箇所の起、終点付近の道路屈曲部分には、工事中であることを示すとともに道路が屈曲していることが容易に認識できるように、走行方向を矢印で示す電光表示板、内部照明式セーフテイコーンを設置してこれに点灯し、更にゴム製のセーフテイコーン及び反射式方向表示板を設置して、通行の安全を図つており、道路の通常備えるべき安全性を具備していたものであるから、本件道路の管理には何らの瑕疵はなかつた。

(三) 同2(三)の事実は否認する。本件事故は対向車の運転手畑彰が警音器を吹鳴し、前照灯を遠近切換操作して警告したものであつて、専ら訴外浩が居眠り、またはわき見運転をして前方注視を怠つた過失によつて発生したものである。

3 同3(一)イは不知。同3(一)ロ中、原告米子が訴外浩の妻であること、原告隆弘、同康司が訴外同人の子であることを認め、その余は不知。同3(二)ないし(四)は否認する。

4 同4の事実中、原告らが自賠責保険金として五〇〇万円を受領したことは認めるが、その余は争う。

(被告両会社)

1 請求原因1は認める。

2 同2(一)は認める。同2(二)は、被告両会社が被告国より本件事故現場における工事を請負い、被告岩田興業が工事中の道路部分を占有していたことを認め、その余は否認する。被告岩田興業は、路面から五五センチメートルの深さまでの部分の造成を、被告土生組は、その下二五センチメートルの部分の基盤造成と地中物件埋設工事を、それぞれ請負つたものであり、被告土生組は、本件工事箇所の道路面を占有していない。被告岩田興業は、前記被告国の認否2(二)記載のとおりの保安施設等を設置して、道路交通の安全を図つていたから、本件道路の保存に瑕疵はなかつた。又、仮に、本件事故当時右内部照明式セーフテイコーン、赤色灯等の灯火が消えていたとしても、その前日の作業終了時の点検で異常なく灯火がついていた以上、その後本件事故時までに灯火が消えたものと考えられ、そうだとすると、夜間の点検パトロールが法的にも慣行上も要求されていない本件では、夜明けまでにこれを修復することは不可能であり、道路保存の瑕疵ということはできない。同2(三)の認否は、前記被告国の認否に同じ。

3 同3(一)ないし(四)の認否は、前記被告国の認否に同じ。

4 同4の事実中原告らが自賠責保険金として五〇〇万円を受領したことは認める。

三  抗弁

(被告両会社)

1 被告岩田興業は、前記のとおりの設備をなし、かつ本件事故発生の前日の作業終了時に右設備の点灯状況を点検して、安全を確認したのであつて事故発生を防止するに必要な注意をしたから、被告両会社は免責せらるべきである。

(被告ら三名)

2 訴外浩の死亡は、同訴外人が居眠り又はこれと同一に評価できる状態で運転していたためであるから、本件事故の発生については同訴外人にも過失があり、損害賠償の額を定めるについてはこれを斟酌すべきである。

四  抗弁に対する認否

いずれも否認する。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  被告らの責任

1  事故現場の状況

本件事故現場付近が四日市市から松阪市に通じる一級国道二三号線で、その幅員が約一九メートルであること及び本件事故当時、事故現場付近が道路工事中であつたことは、当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第八号証の一ないし四、第九号証、乙第一、第二号証、証人畑彰の証言によつて成立を認める甲第三号証、第五号証、第六号証の一、二、第七号証の一ないし五、証人畑彰、同吉崎平男、同土生文雄、同橋本正次の各証言によれば、次の事実が認められる。

本件事故現場付近道路の状況は、別紙図面(二)記載のとおりで、路面はコンクリート舗装され、平担、直線状の有効幅員約一七・五メートルの道路で、同図面の「工事箇所」と記載された斜線部分が南北に約八二〇メートルにわたり工事中であり、本件事故現場は右工事区間の北端であり、そのため、四日市市方面(工事箇所の北側)から見ると、同図面記載のとおり、道路は工事箇所の北端付近でやや左(東)に屈曲し、工事箇所に沿つて再び直線となり、工事箇所の南端付近でやや右(西)に屈曲し、同所を過ぎると右道路は再び従前の幅員の直線道路となつており、右工事箇所の東側部分の道路は工事のため有効幅員約七メートルと工事箇所の両端の道路幅(約一九メートル、右幅員は当事者間に争いがない。)より狭くなつており、四日市市方面から右工事箇所の終点付近までは上下二車線(片側一車線)となつており、見通しは良く、又、制限速度は時速五〇キロメートル、道路の両側には自動車販売店、喫茶店、ガソリンスタンドなどがあるが、一般の人家等は比較的まばらで、付近に街灯等はなく、本件事故発生時の昭和四八年二月六日午前五時二〇分ころは両側店舗等のネオンサイン、灯火等も消えていて、現場付近は暗かつた。

なお、四日市市方面から松阪市方面に進行してくると、本件工事箇所が最初の工事箇所で、以下松阪市方面にかけて数箇所の工事箇所があつた。

2  道路工事及び保安施設の設置状況

(一)  前顕甲第三号証、第五号証、第六号証の一、二、第七号証の一ないし五、第八号証の一ないし四、第九号証、乙第一、第二号証、証人三宅栄三、同畑彰、同兵頭辰己、同橋本正次、同土生文雄、同吉崎平男の各証言によれば、次の事実が認められる。

右道路工事は、上下二車線(片側一車線)の道路を四車線化(片側二車線化)するための工事の一環として、津市垂水から同市藤枝間の前記約八二〇メートルの区間を昭和四七年度藤枝道路改良工事及び舗装工事として施行中のものであつて、被告国が右改良工事については被告株式会社土生組と昭和四七年八月一四日に、舗装工事については被告岩田興業株式会社と同年九月二八日に、それぞれ請負工事契約をし、右両会社が被告国の出先機関である建設省三重工事事務所の監督のもとに工事を実施していたものである(被告両会社が被告国より右工事を請負つていたことは当事者間に争いがない。)。右工事の実施にあたつては、三重工事事務所長が工事着手前に工事方法及び交通処理方法等について津警察署長と協議する一方、被告岩田興業、同土生組は、各自、交通等安全基準案に基づく安全管理の計画を含む施行計画書を同工事事務所に提出して、工事内容、施行方法、工事中の交通安全管理の内容等について承認を受けた。そして、右工事は、まず、被告土生組が路面より約五〇センチメートルを堀削し、その下二五センチメートルに切り込み砕石を入れる下層路盤工事をし、昭和四七年一一月ころからは右工事に併行して右工事の完了した部分について被告岩田興業が舗装工事を始め、昭和四七年中は被告土生組が主として保安施設等を設置して安全管理の責任を負つていたが、順次被告岩田興業の工事が進行し、別紙図面(二)の「工事箇所」と記載された斜線部分について被告土生組の下層路盤工事と被告岩田興業の舗装工事が併行してなされるに伴い、昭和四八年一月一一日、被告両会社は、工事事務所監視員立会のもと、その指示に基づき、工事箇所の手前五〇〇メートル、二〇〇メートル、一〇〇メートル、五〇メートルの地点に工事予告標識を、三〇メートルの地点に工事注意標識を各設置し、次に、同図面記載のとおり工事箇所と車両の通行しうる道路部分を区分し、車両を正しい道路方向に誘導するため、工事箇所約八二〇メートルのほぼ全線にわたつて、高さ七〇ないし八〇センチメートル、幅約一・五メートルのバリケードを設置し、これに赤色灯を三ないし五メートルおきに添架し、かつ工事箇所北端付近から右工事箇所東側の道路への進入地点付近のバリケードには横約九〇センチメートル、縦約五〇センチメートルの青色に白色の矢印の描かれた反射式方向表示板(自動車の前照灯等によつて反射するようになつている)を三個添架し、更に、右工事箇所東側道路への進入地点には高さ約一・八メートルの円錐形の内部照明式赤色大型セーフテイコーン二個のほか高さ約二メートル、幅約一・八メートルで、上部に連動循環点滅式の矢印が、下部右側に工事標識が、左側に矢印が、それぞれ描かれた電光表示板を設置し、右バリケードに添架した赤色灯には二〇ワツトの電球が、内部照明式セーフテイコーンには四〇ワツトの電球が、電光表示板には上部に六〇ワツトの電球一〇個、下部に四本の螢光灯が、それぞれ備えられ、二本の電柱から電源をとつて(但し、本件事故地点である工事箇所の北端付近のみ、全線については約二〇本の電柱から電源をとつていた)点灯しうるようにし、又、前記のとおり、工事箇所への進入地点付近で道路が屈曲しているため、同部分の旧センターラインの上を黒色トラフイツクペイントで塗布して抹消し、右屈曲した道路に沿つて白色トラフイツクペイントで幅約一五センチメートルの臨時のセンターライン(破線)及び車道外側線を表示し、以後本件事故時に至つていた。なお、道路における交通安全施設の管理は被告両会社において行うものの、前記昭和四八年一月一日以降被告両会社の工事が併行してなされるに伴い、一日の作業終了時の保安点検は、被告両会社が協議して月の前半を被告岩田興業が、後半を被告土生組が、それぞれ分担して行い、安全を確認するてはずとなつていた。又、本件事故時においては、本件工事は未だ完成しておらず、被告岩田興業、同土生組ともに前記工事箇所で併行して工事を続行中であつた。

(二)  前掲甲第三号証、乙第二号証、証人三宅栄三、同畑彰、同吉崎平男の各証言によれば、本件事故発生時、被告両会社の設置した前記保安施設等は、別紙図面(二)記載の所定の位置に平常どおり設置されていたが、電光表示板のコードがコンセントに差込まれておらず点灯していなかつたほか、前記赤色灯、セーフテイコーンも点灯しておらず、右点灯設備のある保安施設に、被害車も、対向車も接触していなかつたこと、又、前記抹消した旧センターラインは完全には消えておらず、薄く残つていて見える状態であり、臨時のセンターラインは消えかかつていて見えにくい状態であつたことが認められ、右認定に反する証人兵藤辰己、同橋本正次の、事故地点付近のバリケードがこわれ、赤色灯の電線が切れていた旨の各証言は、事故時から三ないし四時間後の状況に関するものであり、事故発生時に関する事実としては、証人吉崎平男の証言に照らし措信しえず、証人橋本正次の、右点灯設備のある保安施設は昼間も点灯していた旨の証言は、前顕甲第七号証の一ないし五(昭和四八年二月七日午後三時撮影の写真)に照らし措信しえず、又、同証人の、事故発生の日の前日の午後五時ころ、作業終了後の保安点検をした際には異常なく点灯していた旨の証言は、その真偽必ずしも明らかでないが、前顕証人吉崎平男の、本件事故直後赤色灯、電光表示板等が点灯していなかつた旨の証言の真実性が強く、右証言に前顕甲第三号証、証人三宅栄三、同畑彰の各証言が符合すること、そして、右点灯設備のある保安施設が点灯していなかつた原因は、同所を通行した車両等の接触や衝突によるものとは考えられず(右吉崎、三宅、畑の各証言による)、他に、右原因が何であるかを明らかにしうる証拠がない以上、むしろ、工事中の作業過程における何らかの事情で灯火が消えたものと考える方が自然であり、右証拠に照らして、前記の橋本証言は、たやすく措信することができず、他に前記認定を覆すに足る証拠はない。

3  本件事故発生の経過

前顕甲第三号証、乙第二号証、証人三宅栄三、同畑彰、同吉崎平男の各証言、原告上椙米子本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

訴外浩は、昭和四八年二月五日午前七時ころ起床し、午前中仕事をして昼頃帰宅し、休養、睡眠した後、同日午後一〇時ころ、長野県所在の自宅を被害車(四トントラツク)を運転して木材運送のため三重県海山町相賀へと出発し、翌六日午前五時二〇分ころ、四日市市方面から本件事故現場付近にさしかかり、事故地点の約二〇〇ないし三〇〇メートル手前で先行車両を追越して時速約五〇キロメートルで進行し、他方、畑彰は、対向車を運転して松阪市方面から前記工事箇所沿いの道路を時速約三五キロメートルで前照灯を下向きにして進行していたが、事故地点の約一〇〇ないし一五〇メートル手前で被害車に気づき、被害車に近づくにつれ正面衝突の危険を感じ、警告のためクラクシヨンを二回位鳴らし、前照灯を上向きまたは下向きに二、三回切りかえたが、被害車は、工事箇所へと通じている旧センターライン沿いにそのまま進行し、前記工事箇所への進入地点付近でやや左に屈曲して通行すべき南進車線(松阪市方面への車線)に入らず、対向車線である北進車線(四日市市方面への車線)上を直進したため、畑は、直ちに急停車の措置を講じ、同時にハンドルを左方向(工事箇所方向)へと切つたが、間にあわず、自車の右側前部において被害車と衝突し、同車は、衝突後対向車の運転台をかすめて同車の右横に並ぶようにして、しかも被害車の進行したコースの左横には大型車一台が通行しうる程の幅を残して停止した。

4  道路の保存及び管理の瑕疵

(一)  被告国が本件事故の発生した道路を管理していたこと、又被告岩田興業が工事中の右道路部分を占有していたことは右各当事者間に、争いがなく、前説示2の事実によれば、被告土生組も被告岩田興業とともに右道路を占有していたものということができる。

(二)  ところで、道路の保存又は管理の瑕疵とは、道路が通常具有すべき安全性を欠く場合をいうものと解すべきところ、本件事故の発生した道路の状況は前説示1のとおりであつて、工事箇所北端の手前付近から南進車線を旧センターライン寄りにそのまま進行すると工事箇所への進入地点付近では対向する北進車線に入り込んでしまい、対向車と正面衝突する危険性があつたことからすれば、殊に夜間においては、赤色灯等を点灯し、これをバリケードに添架する等して工事箇所と通行しうる道路部分とを明瞭に識別せしめて車両の誘導に便ならしめるほか、点灯した誘導標識を適切に設置し、更に、不要ないしは誤認の危険のあるセンターラインを完全に抹消し、通行すべき道路へと導く外側線とセンターラインを明認しうるよう標示する等の措置をとらなければ、道路としての安全性を欠くものというべきで、本件においては、前説示2(二)のとおり、点灯設備のある保安施設がこれを点灯しうる状況にあつたにもかかわらず、点灯しておらず、又抹消すべきセンターラインの抹消が不完全で、明瞭に標示すべき臨時のセンターラインが不明瞭であつたのであるから、この点において、道路の保存及び管理に瑕疵があつたものというべきである。

もつとも、本件においては、前記3で説示したような経過で事故が発生したのであるから、訴外浩に重大な前方不注意のあつたことは明らかであり(本件衝突前に同訴外人が他車を追越運転をしていることを考えると、同訴外人が対向車の前記警告にもかかわらず、そのまま直進してなんらの回避措置をもとらなかつたことから、直ちに同訴外人が居眠り運転をしていたとまではいうことはできないが、かなり覚醒度の下がつた状態で運転していたものといいうる。)、仮に、同訴外人が前方注視を怠らず、正常な運転をしていれば、前説示した保安設備(その中には前照灯による反射を利用した反射式表示板もあつた。)等によつて、現場の相当手前で本件工事箇所を発見して正しい道路の進行に従つた運転をすることも可能であつたといいうる(なお、原告上椙米子本人尋問の結果によれば、右浩は、木材運送の仕事のため、本件事故以前に数回本件現場付近を車両で通つたことのあることが認められるが、前記のような保安施設のほどこされた昭和四八年一月一一日以降に同所付近を通行したことがあるか否かは必ずしも明らかでない。)が、道路の保存又は管理の瑕疵の有無は、当該道路状況のもとで通常の自動車運転者を標準として客観的に定められるべきものであるところ、夜間交通量の少なくなつた本件道路のような比較的幅員の広い直線の国道を進行する場合、自動車運転者は、通常、進路前方に工事箇所があつて、前記のような道路の通行状況にあることを予測しないで運転するのが常態であると考えられ、かつ夜間は前方を十分認識することが困難であるから、昼間以上に保安設備をなす必要があり、通常の自動車運転者を標準として考えると、前記のような保安施設の欠陥は、道路の保存または管理に瑕疵があつたものというべきである。

(三)  被告両会社は、被告岩田興業が、前記の保安施設等を設置して、事故発生の日の前日の作業終了時に右施設の点灯状況を点検し、損害の発生を防止するに必要な注意をなしたから、同被告らは免責せらるべき旨主張するが、前説示したところよりすれば、被告岩田興業が同条所定の損害の発生を防止するに必要な注意をしたものとはいい難いから、右主張は採用することができない。

5  道路の保存及び管理の瑕疵と本件事故との因果関係

前記3で説示したところよりすれば、本件事故当時、前記点灯設備のある保安施設が点灯し、前記旧センターラインが完全に抹消されていて、臨時のセンターラインが明瞭に標示されてあつたとしても、本件事故は発生したといえなくもない。

しかしながら、被告らにおいて、右のような措置を講じ、少なくとも点灯がなされていたら、いかに運転者の注意力が低下していたとしても、暗夜にともるその鮮明な色彩はかなりの手前において訴外浩の注意をひかずにはおかず、ひいては、本件事故箇所が工事中なることに気がつき、前記道路状況に応じた運転方法をとりえたであろうと推認しうる。

そうすると、本件事故が、もつぱら右訴外人の前方不注意の過失によつて発生したものということはできず、右過失と被告らの前記道路の保存または管理の瑕疵とが競合して発生したものというべきであつて、右瑕疵と本件事故の発生との因果関係はこれを肯認することができ、従つて、被告国は国家賠償法二条一項により、その余の被告らは民法七一七条一項本文により、各自訴外浩及び原告らの被つた損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。

三  損害額

1  逸失利益

成立に争いのない甲第一号証、第一二号証の一、二、証人上椙信雄(第二回)の証言によつて成立を認める甲第一一号証、第一五号証の一ないし一二、証人上椙信雄(第一、二回)の証言、原告上椙米子本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

訴外浩は、昭和一七年九月一〇日生れで、本件事故当時三〇歳の健康な男子であり、昭和四四年四月二日に原告米子と結婚し、同年七月からは一家の世帯主としてみずから被害車を購入して主として長野県に営業所をもつ日栄住宅資材株式会社と契約して木材運送の仕事を始め、本件事故時に至つており、事故当時の月収は約二五万円であるが、右貨物自動車の買受代金の月賦支払等の必要経費を除いて昭和四七年分の申告所得額は一五〇万円であつた。

成立に争いのない甲第一四号証の一ないし三、証人並木完二の証言によつて成立を認める甲第一三号証の一ないし四、証人並木完二の証言によれば、次の事実が認められる。

前記日栄住宅資材株式会社の住宅資材の運搬の仕事をしていた日栄運輸株式会社の従業員のうち、訴外同会社の四トントラツクを運転していた者の給与は、その支給総額で昭和四八年九月に一か月一一万九、七七五円であつたものが、昭和五一年一月には一か月一五万五、六〇〇円と上昇し、かつ、その賞与は年二か月程度であるから、同年一月当時の年収は二一七万円余となつていたが、訴外浩の如き、いわゆる車持ち常傭の場合の実収入は右従業員の収入を上まわるのが通常であつた。又、賃金センサス(賃金構造基本統計調査)によると、男子労働者学歴計で三五歳の者の昭和四七年の年収が一三四万六、六〇〇円であるのに比して、右同様の者の昭和四九年の年収は二〇四万六、七〇〇円と約五一パーセント上昇し、昭和四九年には運輸省によつて約一五パーセントの運賃値上げが承認された。

右認定の事実によれば、訴外浩は、少なくとも事故当時から昭和五〇年一二月三一日までは年間一五〇万円の、昭和五一年一月一日以降は年間二一〇万円の、各収益をあげ得たものということができる。

そうすると、訴外浩の逸失利益算定のための年収は原告ら主張の昭和四八年三月から昭和五一年二月までは年間一五〇万円ということになり、同年三月以降は年間二一〇万円となり、前記のとおり同訴外人が一家の中心的存在であつたことに徴して、その生活費として右収入から三〇パーセントを控除するのが相当であるから、生活費を右年収額から差引くと、その残額は前者が一〇五万円、後者が一四七万円となり、しかして、同訴外人は死亡当時三〇歳の男子であつたから、厚生省発表の昭和四九年簡易生命表によれば、その平均余命は四三年余であることが認められ、右事実に照らして、同訴外人は死亡時より三三年間は就労が可能なものと認むべきであり、これを基礎に同訴外人の死亡時における逸失利益をホフマン方式により算定すると、その額は次の算式のとおり二、七〇五万一、九九〇円となり、これが同訴外人の逸失利益ということになる。

105万円×2.731+147万円×(19.183-2.731)=2,705万1,990円

そして、訴外浩の死亡により、その妻である原告米子及び右両名の子であるその余の原告ら二名が相続人として同訴外人の地位を承継したことは当事者間に争いがないから、原告らの取得した損害額は、相続分に応じ、右金額の三分の一の九〇一万七、三三〇円ということになる。

2  慰謝料

前顕甲第一号証によれば、訴外浩の妻である原告米子は本件事故当時二六歳、長男である原告隆弘は二歳、次男である原告康司は零歳八月であつたことが認められ、しかも訴外浩が一家の世帯主であつたことに徴し、原告らが右浩を失つたことにより多大の精神的苦痛を受け、又は将来右苦痛を感受するに至るべきことは容易に推認しうるところであり、その苦痛に対する慰謝料としては、原告米子は二〇〇万円、その余の原告ら両名は各一〇〇万円と認めるのが相当である。

3  葬儀費

前顕証人上椙信雄の証言(第一回)によつて成立を認める甲第四号証、証人上椙信雄の証言及び弁論の全趣旨によれば、原告米子は、訴外浩の遺体を事故現場から長野県木曽郡まで運搬し、同所で葬儀を行い、右運搬費をも含む同訴外人の葬儀費用として四五万一、七七〇円(遺体運搬及びその途中の葬儀費に一三万円余を要す)を支出したことが認められ、他に特段の事情の認められない本件においては、同原告の被つた葬儀費用相当損害額は四五万円と認めるのが相当である。

4  過失相殺

前説示のとおり、訴外浩には前方不注意の過失があつたのであり、前記認定の事故現場付近の状況および事故発生の状況からすれば、本件事故につき被告らが賠償すべき損害賠償の額を定めるについては、これを斟酌すべきものとし、前記損害額の三分の二を減額するのが相当である。

そうすると、原告米子の損害額は、前記1ないし3の合計額一、一四六万七、三三〇円から、その三分の二を減額した三八二万二、四四三円(円未満切捨)となり、原告隆弘、同康司の損害額は前記1、2の合計額一、〇〇一万七、三三〇円から、その三分の二を減額した各三三三万九、一一〇円となる。

5  損益相殺

原告らが本件事故による損害につき自賠責保険より五〇〇万円の支払いを得たことは当事者間に争いがなく、右保険金の内原告米子が二〇〇万円を、原告隆弘、同康司が各一五〇万円を、それぞれ取得したことは原告らの自認するところであるから、これを原告らの前記損害額に充当すると、結局、原告米子の請求しうる前記損害額は一八二万二、四四三円、原告隆弘、同康司のそれは各一八三万九、一一〇円となる。

6  弁護士費用

原告らが本件事故に基づく損害賠償請求訴訟の追行を原告ら訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであり、交通事故においてその責に任ずべき者が損害賠償の請求に対し任意にこれが支払をしないときは、通常、弁護士に訴訟を委任しなければ権利の実現をはかることは困難であるから、これに要する弁護士費用は、事故と因果関係に立つ範囲内において被害者の被つた損害と解すべきところ、以上認定の事実に本訴請求金額、認容額、事案の難易その他前記訴外浩の過失の点を合わせ考えると、原告らの請求しうる右損害額は各一八万円とするのが相当である。

四  結論

以上の次第で、原告らの本訴請求は被告らに対しそれぞれ原告米子につき二〇〇万二、四四三円及び弁護士費用を除く内金一八二万二、四四三円に対する本件事故の翌日である昭和四八年二月七日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告隆弘、同康司につき各二〇一万九、一一〇円及び弁護士費用を除く内金一八三万九、一一〇円に対する右同日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行及び仮執行免脱の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 白川芳澄 林輝 若林諒)

図面(一)

〈省略〉

図面(二)

〈省略〉

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